大阪家庭裁判所 昭和33年(家)1353号 審判 1960年5月31日
〔解説〕本件は、終戦後から平和条約の発効までの間に朝鮮人(韓国人)男と婚姻した内地人女が、「平和条約の発効と同時に同女が日本国籍を離脱して韓国国籍を取得したため、亡先夫日本人男との間に生れた連子の親権者でなくなつた」との理由(法例第二〇条、旧朝鮮民事令第一一条第一項、旧民法第八七七条第二項参照)に基づき、後見人選任の申立をした事件において、同女の国籍の帰属が争われた事案である。
平和条約の発効とともに、民族朝鮮人(または台湾人以下同じ)が、内地に在住しているものを含め、日本国籍を離脱して外国人としての身分を取得したことについてはほとんど異論のないところであるが、平和条約の発効前朝鮮人男と婚姻した内地人女の国籍の帰属については従来から見解のわかれるところである。
この点につき、右の婚姻が終戦前になされたときはもとより、終戦後平和条約発効前になされた場合にも、内地人女の国籍変動を承認するものとして、法務省の行政解釈(注1)があり、またこれと同旨の判例(注2)が最近はかなり有力である。
この説の論拠は、「領土変更にともなう国籍の変動は、本来当該両国間の条約により決定されるべきものであるが、この点に関しまだ両国間になんらの取決めはなく、また平和条約にも具体的な定めはないから、もつぱら平和条約の合理的な解釈によるほかはない。そして、平和条約のしめす朝鮮の独立とは、日本に併合された朝鮮の領土、国民の回復を目的とするものと解すべきであるから、この国籍変動の問題は、日韓併合当時において韓国籍を有した者および日韓併合がなければ当然韓国籍をえたであろう者を朝鮮国民を形成するものとして、これに朝鮮の国籍を回復させる意味において変動させるのが相当である。とすれば、この具体的な範囲は、領土変更の行われた平和条約発効時に朝鮮の戸籍にあるいわゆる朝鮮人、および平和条約の発効前(すなわち共通法の失効前)に朝鮮人との婚姻または養子縁組などの身分行為により朝鮮人たる身分を取得し、共通法に基づき朝鮮の戸籍に入籍すべき者として内地の戸籍から除籍されたもの(注3)をさすものと解すべきである。」というにあるもののようである。
このような積極説に対し、次のような反対説がある。
第一は、「かつて日本国内に存在した異法地域(内地、朝鮮および台湾)相互の法律関係の処理を目的とした共通法は、終戦(降伏文書の調印)と同時にその実効性を失つているから、この領土変更にともなう国籍変動の問題は、平和条約の発効時ではなく、終戦時の共通法的事態を基準として考えるべきである。したがつて、終戦後平和条約の発効までに朝鮮人男と婚姻した内地人女は、もはやこの婚姻により朝鮮人たる身分を取得したものと解すべきではないから、同女が平和条約の発効により日本国籍を離脱し、朝鮮人たる国籍を取得することはない。」との見解(注4)であり、
第二は、「朝鮮人男と婚姻した内地人女が、平和条約の発効と同時に日本国籍を離脱して朝鮮人たる国籍を取得するためには、たんに朝鮮人との婚姻により内地の戸籍から除籍され、朝鮮の戸籍に入籍すべき事由が生じたことではたらず、現実に朝鮮の戸籍に入籍しておらねばならない」との見解(注5)である。なおそのほか内地人女の住所地がどこにあるかに主眼をおく見解(注6)もある。
本審判は、この反対説の第二の見解に従い、同女が依然日本の国籍を保有しているとの理由で後見人選任の申立を却下したものであり、令後の判例の動きに注目したい。なお、本審判の結論に従い、申立人が事件本人の親権を行使するためには、就籍ではなく、戸籍訂正の方法によるべきであろう(注7)。
注 1 昭和二七・四・一九民事甲第三八号民事局長通達
2 東高昭三〇・七・三〇判決渉外判例集一四五四頁、同昭三四・八・八刑一一部判決など(月報一二巻三号一〇八頁参照)、同旨平賀健太「平和条約発効前に台湾人または朝鮮人と婚姻した内地人女の国籍」判例時報六一号・七一号各一頁、横山実「平和条約発効前朝鮮人男と婚姻した内地人女の国籍について」戸籍一二〇号七頁
3 この入籍前の内地人女を含める理由としては、「終戦後も平和条約の発効までは、日本に依然として共通法秩序は存在したから、この間に内地で行われた朝鮮人男と内地人女との婚姻の方式は、共通法第二条第二項法例第一三条第一項但書により婚姻挙行地である日本民法に従うべきである。とすれば、朝鮮人男との婚姻届が内地の戸籍吏によつて受理された以上婚姻は成立し、朝鮮の戸籍に入籍前であることはこの婚姻の成立になんら消長を及ぼすものではない。すなわち、この婚姻の成立により、内地人女は入籍の有無にかかわりなく朝鮮人たる身分を取得したものと解すべきである。」ということであろうか。なお共通法に基づく戸籍の取扱については、「渉外的戸籍事務の実証的研究」法務研究報告書第四六集第四号四七、七七頁参照。
4 桑田渉外判例研究第一九回ジユリスト一九七号九〇頁
5 大阪家裁昭二九・三・一三審判高裁民集八巻一〇号六一頁所掲
平塚簡裁昭三二・九・二判決前掲横山論文七頁所掲
江川・桑田「領土変更と妻の国籍」民事月報一〇巻四号二七頁参照
6 東京地裁昭二九・二・二七判決渉外判例集一四五七頁
藪田康雄判例特報六八号一頁
7 平賀判例のはなし(四)戸籍第八二号二頁
松山光善こ
申立人 李化林(仮名)
事件本人 中田辰子(仮名)
主文
申立人の本件申立を却下する。
理由
本件申立理由の要旨は、事件本人中田辰子は父中田幸一、母トミ間に出生した長女(昭和一六年二月一三日生)であるが、父幸一は昭和二〇年七月一日戦死した後母トミが韓国人である申立人と婚姻したので事件本人に対し親権を行う者がいないので後見人の選任を求めるというにある。
筆頭者中田正三の戸籍謄本の記載によれば、事件本人が申立人主張の父母の長女であること、その主張の日事件本人の父が死亡し、またその主張の日事件本人の母が韓国人である申立人と婚姻したことが認められる。そして申立人は平和条約発効と同時に韓国籍を取得したことは当然であるがその妻トミについては幾分事情を異にする。すなわち、トミは申立人との婚姻により日本の戸籍から除籍されていることは上記戸籍謄本の記載により明白であるが、日韓国交が回復していない現在において申立人とトミとの婚姻届はまだ日本国内に留保され韓国に送付されていず、従つてトミが申立人の韓国の戸籍に入籍されていないこともまた明白である。このように平和条約発効前に韓国人男と婚姻した日本人女がまだ韓国の戸籍に入籍されていないときはその日本人女は、たとえ日本の戸籍から除籍されたとしても、まだ韓国の国籍を取得せず日本の国籍を保有するものと解すべきである。そうすると事件本人の母トミは依然として日本人であり日本民法により事件本人に対する親権を行使する権能をもつていると解すべきであるから、本件においては事件本人についてまだ後見が開始していないというべきである。よつて、申立人の本件申立はその理由がないのでこれを却下すべきものとし主文のとおり審判する。
(家事審判官 相賀照之)